こつぶぽてとの研究日誌

毎日前進. 生活はちいさな冒険と研究だ.

同じようなものを買ってしまうのはヒトの性

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私は都内に住んでいますが、地方の実家の近くに祖父母がいます。80歳くらいなのですが、皆それぞれ持病があります。ある程度の年齢になれば、健康の問題を少しはもっているものです。

目が悪くなったことや、身体が思うように動かなくなったことなど共通する問題もあり、すると、「買い物」に行くのが億劫になります。買物といっても生鮮食品や日用品など生活に必要なものから、時計や書籍、服飾品、家電など趣味的なものまでありますが、そこでつい「買いすぎてしまうもの」が興味深いです。

 ひとそれぞれ買いがちなものがある

たとえば料理好きな人なら、豆やもち米、野菜類など、もうとうてい調理できないのにも関わらず、手間のかかる料理をできる前提で買ってしまう。たとえば掃除好きな人なら、洗剤、ほうき類、芳香剤など、つかう量をはるかに超えたストックを買ってしまう。

若いころ読書好きなら書籍を、家電が好きなら家電を、お化粧が好きなら化粧品を、というように、その人が好きなもの、あるいは気にしていたこと、気をつけていたことを反映した買い物をするようです。

それで周りの人間はおこったり落胆したりするわけです。実際私も大量のストックを前に、使わないのに買ってしまったんだな、と悲しくなりますし、在庫管理をちゃんとしてほしい旨のことを言いかけてしまいます。

 自分も同じようなものを集めている

でも、自分も多かれ少なかれそのような点があることに気づきました。アクセサリーや化粧品には関心が少なめなのであまり買わない。でも、レシピ本やキッチンツールはちょっとずつ増えていく。ファイル類や文具もちょっとずつ増えていく。それは、私が料理と書き物が好きだから、いいなと思って買っているわけです。理性で今月はこれだけしか買わないでおこうとブレーキをかけながら、すこしずつ増やしているわけです。

祖父母の年齢になると、「予算」や「比較」などが難しいし、すこし前に買ったかどうかの「記憶」もない。今はつかっていないのでなかなか消費できないけれども、前に使っていた時にすぐになくなった感覚は、若い時からの記憶なので、残っているんです。

責めないようにしたい

無駄だなあ、どうして買ってしまうのだろう、と思うのは自分が今この年齢だから。できなくなって一番つらいのは祖父母なので言うのは酷だ。と思いながら、以前の祖父母のようにと求めてしまう自分がいます。買いそろえているものはその人の興味、関心、人生の大切な一部なんだと、認められるようになりたいです。